<日時>2006年10月13日(金)15:00−17:30 終了後に懇親会を開催
<パネリスト>司会:山崎久道氏、今まど子氏、田中梓氏、末吉哲郎氏、水谷長志氏、宮部頼子氏、京藤松子氏
<場所>日本教育会館7F703号

今から20年前の1986年8月24日、世界55カ国から2000名を越える参加者を集めて、IFLA(国際図書館連盟)東京大会が開会しました。メインテーマは「21世紀への図書館」で、主会場は青山学院大学、展示会はホテルニューオータニで行われました。あれから、ちょうど20年、本年は、同じアジアのソウルでIFLAの大会が行われました。
この20年間で、図書館をめぐる環境は大きく変化し、また、図書館のあり方や業務やサービスも改革を迫られてきました。この意義深い年に当たって、まだわが国図書館界が国際的認知に乏しかった中でIFLA東京大会を招致・設営して成功に導いた人々のお話を伺い、また、IFLA東京大会を一つの契機として、その後のわが国の図書館員の周囲に起こった変化やそれに対するチャレンジの跡を振り返って、今後の図書館のあり方を考える貴重な機会にしたい、と本懇話会は開催されました。

パネリストの先生方のお話はいずれも興味深く、参加者からの発言も相次ぎ、予定の時間を延長しての大盛況となりました。今はお亡くなりになった大会の立役者であった方々の実績と人がらを偲ぶ声もありました。今も鮮やかな印象を残すIFLA東京大会、対して現在の図書館界にそのようなエネルギーがあるだろうかと今後の課題も残りました。
以下に要旨をまとめましたのでご覧ください。
 

「IFLA東京大会とは何であったのか、そして、そのあと20年の軌跡&奇跡」
総合司会:山崎久道氏(中央大学教授)
パネルトークのポイントとして、
 1.IFLAを実現するまでの話
 2.IFLAを経験してのインパクト
 3.日本とIFLAの緊密な関係、関わり

の 三点が提示されました。

「IFLA東京大会への道のり」
今 まど子氏
(中央大学名誉教授) ※レジュメをPDFでご覧になれます。 (1.2MB)
 1977 年、数あるJLAの委員長はすべて男性であったが、渉外委員会に初の女性委員長として就任し、委員会の名称を「国際交流委員会」と改めた。1929年イタリアで開催された第1回大会からJLAは参加していた。戦時中を挟んで戦後は1952年から再加盟した。今 まど子が委員長になってからは毎年参加するようになった。JLAはまだ国際的に知名度が低く、また日本国内ではIFLAという組織についても知られていなかった。そこでIFLA大会への参加団を組織することを発案、今日でも団体での参加は続いている。日本が高度成長期を経て発展した1980年、マニラ大会において、1986年のIFLA大会は東京で開催することを宣言し、大喝采を浴びた。
 その後、国際交流に関して幾つかの仕事をしたが、その一つに、会費を参加協会会員と施設会員とで分担して払うようにIFLAに認めてもらったこと、二つに、東京大会のプログラム委員長としてテーマを「21世紀への図書館」とし、IFLAの8つの部会に対応して日本委員会を設け委員長をリエゾン・オフィサーとして各部会長と交渉し日本から50人に近いスピーカーを出すことに成功した。このやり方はIFLA側からも評価され、その後の大会開催国でも採用されている。
  この大会のメリットは、日本の図書館界を世界の図書館人に知らせることができたこと、また日本の図書館人が直接海外の図書館員のスピーチを聞くことができたこと、これがまさに国際交流と言えよう。また、多文化社会の図書館サービスが新しいサービスのあり方として日本の図書館界に紹介されたこと、などがあろう。
  最後にIFLA東京大会に尽力し、今は亡くなられた方々――4ヵ国語のペーパーの印刷に奔走して下さった石塚英男氏(大日本印刷)、プレコンフェランス・セミナーのリーダー宮川隆泰氏(三菱総研)、大会プログラムの表紙絵を描いて下さった鈴木平八郎氏(国立国会図書館)のご冥福を祈り、IFLA東京大会に協力して下さった方々に感謝いたします。

「IFLA東京大会の広報活動を中心に」
田中 梓氏
(元・国立国会図書館勤務)
 IFLA東京大会では広報委員会の委員長を務めた。広報委員会は「一騎当千」のJLA国際交流委員会からのメンバーを中心として構成された。
  1984年開催のナイロビ大会から数回にわたり東京大会開催を知らせる英文の広報資料を
配布。1985年シカゴ大会ではブースを設けて展示を行った。
  東京大会開催中には毎日、"IFLA Express"という日報を編纂・印刷して配布する役目があった。日英両国語で記述し、スピーカーの紹介や行事案内・変更などを知らせる。記事の締め切りを調整したり、ワープロを導入したりと作成中は試行錯誤の連続だった。3000部から4000部を印刷し、毎日、会場とその付近に置き、最終日は閉会式を行った日本青年会館で配布した。また、参加者に日本の図書館界の現状を伝えるための"Librarianship in Japan"の作成に合宿までした編集委員会の苦労が思い出される。
  IFLA東京大会にはそれまでの大会と違って「アジア的な雰囲気」が濃厚であった。そしてテーマにふさわしく「21世紀的な図書館」を強く感じられる大会だった。コンピュータ導入による図書館のオートメーション化、光ディスク・電子出版などが印象深かった。また第三世界の図書館についても取り上げられ、児童・学校図書館の設立、図書館員の養成などが問題とされた。
  日本からの参加は1,555人と2/3を占め、日本人のIFLAへの理解に大きく貢献した大会であった。

「展示会と図書館産業のその後」
末吉 哲郎氏
(東京都写真美術館参与)
 IFLA東京大会では、故石塚氏、遠矢氏、新田氏らで構成の展示委員会の委員長を務めた。展示会は大会の付帯行事で参加者主体であったが、折角の機会であるから一般の市民にも開放し図書館に対する理解を深めるという意図で、ホテルニューオオタニを展示会場に、名称も「国際図書館情報総合展」とした。
  会場を200ブースに分け、1ブース(3.5平米)35万円で、参加団体・企業を募ることとなった。このブースを売り切るために様々な企業へ飛込みで話を持込んだ。中でもソニー、東芝、日立などは、それまでは図書館には全く関わりがなかったが、CD-ROM等のニューメディアや情報機器勃興期の当時、それらが図書館ツールとして使えるはずという委員会のすすめにより参加し、新しい流れをつくったものである。他にも国際機関、大使館、各図書館団体などがブースを出展することとなり、結果、220ブースが売れ、98社が参加する規模となった。
記者会見で、展示会をIFLA本大会と間違えた記者たちもあったほどだった。
  展示会の他大会自体も企業のオフィシャル・サプライヤーに支えられた。小西六写真工業は複写機10数台を、ブラザー工業はタイプライターを、大日本印刷は電子掲示板を、そして日野自動車には大会会場と展示会場を結ぶシャトルバスを運転手つきで提供してもらった。日外アソシエーツは図書館をテーマとする写真コンテストのスポンサーとなった。展示会の来場者は予想を大きく上回り4日間で17,500人を数え、それまでのIFLA大会史上最大規模の展示会となった。
  IFLA東京大会は図書館界初の大きな国際会議プロジェクトで財務面が心配されたが、全体の経費は2億700万円。国や東京都からの補助金4,900万円、企業、各経済団体などからの寄付6,200万円、参加者会費7,700万円などがその内訳であったが、この面からも大会は成功をおさめたといえよう。
  展示会は本大会を機に、その後、新田氏等の尽力で図書館総合展が毎年盛大に開催されている。

「IFLA東京大会がもたらしたもの」
水谷 長志氏
(東京国立近代美術館主任研究員)
  IFLA東京大会に参加したことで、美術館の中のライブラリで仕事をすることに新たな光を見いだす大きな転機を得た。図書館情報学を学び、大学図書館の世界に進むはずが、図書館は図書館でも東京国立近代美術館の資料係(現、情報資料室)に就職することになった。実務と図書館情報学をどう結び付けていけばよいか摸索しているうちに、IFLA東京大会が開催され、一参加者として会場へ通った。
  海外の美術図書館協会(ARLIS:Art Libraries Society)のキーパーソンが多く来日。アメリカ・イギリス・カナダ・オーストリアでの取り組みなど、美術図書館の様々な可能性を知った。
  マニラ大会以来、IFLA美術図書館分科会とコンタクトされてきた大久保逸雄氏(武蔵野美術大学)の尽力により、IFLA東京大会での美術図書館分科会も無事開催できた。この機を境に日本版ARLISとなるアート・ドキュメンテーション研究会(略称JADS、現、学会)が、1989年に誕生しており、JADSの濫觴は確かにIFLA東京大会にある。
  IFLA東京大会では、その後仕事をしていく上で、個人的な支えともなる出来事があった。閉会式出席後、大会専門図書館部会の部会長であり、図書館情報大学でお世話になった佐々木敏雄先生と偶々ご一緒して、遅いお昼をご馳走になった。先生は大会後間もなく亡くなられた。IFLA東京大会の閉会式の日に、お別れの際にいただいた「おまえも頑張れな」の激励の言葉は深く胸に刻まれ、その後繰り返し思い出しながらこの二十年を乗り切ってきたように思う。
  IFLA大会の最も素晴らしいことは、ライブラリアンはもとよりライブラリにつながる数多くの職域の人々が一堂に会し、みながライブラリを思い、語らいあえることである。図書館の世界はとてつもなく広く、図書館員教育の場では、この広さを見渡せるような、そんな視野の広い図書館人を育て、送り出してくれることを願っている。
「現在のIFLAとの関わり」
宮部 頼子氏
(立教大学教授) ※レジュメをPDFでご覧になれます。 (446KB)
 JLA国際交流事業委員会委員長を務めている立場から、「JLAのIFLA関連および国際交流関連事業の概況」について手短にお話しさせていただく。まず今年韓国で行われた第72回IFLAソウル大会について,配布物・グッズ・"IFLA Express"(カラー印刷で,今回から中国語も公用語になった)・ソウル大会のために作られた大会テーマソングを収録したCDなど現物を紹介しながら,文字通り国をあげての一大行事であったことをお伝えしたい。それにつけても20年前にIFLA東京大会を成功させた皆様のご苦労とお働きが大変なものであったことを思い,改めて敬意を表したい。
  韓国図書館界には今大きなパワーとエネルギーが満ちており,IFLA大会を「文化面でのオリンピック」と捉えて、国・官界を巻き込んだ取り組みを展開し,5000人という過去最大規模の大会を成功させた。日本と韓国の図書館界の体力差をいろいろな面で感じさせられた。 JLAではIFLAソウル大会に向けて様々な協力活動を行なった。「図書館雑誌」でのコラム掲載やホームページでの関連情報提供、学協会各種会合での広報,日韓関係者の相互訪問、プロフェッショナル・ツアーの実施などである。その結果、200名を超える日本人がソウル大会に参加し,そのうち約40名は各種発表も行った。

「変動期にライブラリアンとして働いて」
京藤 松子氏
(元・アメリカンセンターレファレンス室長)
 IFLA東京大会の開催はちょうど高度情報社会の真ん中、つまりは変動期に当たっている。1985年にはNACSIS、Webcatの運用が開始された。ライブラリー・オートメーションが言われ始めたのもこの頃である。1989年には専門図書館でライブラリー・オートメーションが導入され始め、1991年には61%が完成するに至った。1993年にはアメリカのゴア副大統領がインフォメーション・スーパー・ハイウェイの構築を発表し、1994年にはワールド・ワイド・ウェブが登場した。
  自分を含め、その変動期の図書館員はめまぐるしい変化に追いついていくために大変な思いをした。2000年Y2K問題、電子出版の普及、電子アーカイブズなど、様々な変化が続いた。東京大会開催の1986年はバブル経済期だったが、それも1990年には終焉を迎える。大会も時代を反映し、1997年シアトル大会にはグローバル化が色濃く表れていた。
  変化を続ける情報化社会の中で、今後ますますインフォメーション・プロフェッショナルの育成が必要になる。新しいインフォメーション・リテラシーの教育が重要である。

参加者の方々からの質疑応答

 パネルトークの後の質疑応答ではたくさんの参加者の方からお話をいただきました。
 青山学院大学名誉教授・古賀節子氏は、1986年〜1999年までIFLA大会に行っているが、今でも“日本の大会はよかった”と言われることがある、と発言され、今後、日本で大会を開催するなら、若い人を中心に日本図書館協会などがまとめて盛り上げていく必要があることを指摘されました。雄松堂書店会長・新田満夫氏は図書館関係者が一堂に集まっていろいろな話をする場の大切さについて述べられ、来場者が17,000人にものぼる図書館総合展の有効活用を訴えられました。名越正信氏は専門図書館協議会の事務局長として、長い歴史の中で専門図書館協議会はIFLA東京大会以降どう関わっていったかについてをかえりみられました。(株)IRD企画事業部長・遠矢勝昭氏は石塚氏のもとで尽力した東京大会を振り返る一方で、末吉氏のいう「文化産業論」を実践していることとともに、日本図書館協会でCD-ROM・ニューメディアに携わる現在の活動について述べられました。

パネルトークを終えて

山崎 久道(中央大学文学部教授)

 IFLA東京大会は、私たちの「夢舞台」でした。皆さんは、その夢の主役たちの発言を、そしてその主役たちから松明を受け継いだ人たちのことばを、どのようにお聞きになりましたか。そして、このIFLA東京大会に心血を注ぎながら、今は惜しくも鬼籍に入られた方々の思いを、どのように受け止められましたか。
  そこに、脈々と流れているものは、ことばの最上の意味での「ライブラリアンシップ」ではないでしょうか? そのライブラリアンシップこそ、この図書館サポートフォーラムが、発足以来、守り続けて行こうとしているものでもあるのです。今回の催しは、単に過去を懐かしむだけのものではありません。もちろん、そこには、私たち図書館人の生き様や、仕事に対する誠実さの証を見ることができるでしょう。しかし、それと同時に、未来の図書館や図書館人のためのヒントが、沢山詰まっていると思います。
  「勇気」「フロンティアスピリット」「自分たちの専門への確かな信頼と誇り」・・・そういったものが、IFLA東京大会の企画と実行を支えていたことは、パネリストやフロアーの皆さんの発言から明らかです。これこそ、曲がり角にあると言われる現在のわが国図書館界にとって、もっとも必要とされることではないでしょうか。このささやかな、しかし輝かしい催しが、図書館再興の契機になるなら、こんなすばらしいことはありません。
  この催しにご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。

 
 
日本図書館協会の吉清様より特別に、IFLA東京大会で配られた資料、グッズ、写真などを展示して頂きました。
貴重な資料、懐かしい写真を皆さん手にとって熱心にご覧になっていました。本当にありがとうございました。
たくさんのご参加、貴重なご意見をありがとうございました。

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