〜第8回 図書館サポートフォーラム賞受賞〜

松岡 享子 氏

(東京子ども図書館理事長)

松岡享子氏 【受賞理由】
(財団法人)東京子ども図書館は、児童室・文庫の運営、資料室(児童関係専門図書館)、調査研究、機関誌の発行、講演会、講習会、出版、人材育成などをおこなう、「子どもの読書」を専門主題とした、税金をまったく使わない、過去にその例を見ない、館種を越えた図書館である。意欲と信念と実行力と勇気と想像力の人、松岡享子氏ならではの仕事である。
【受賞のことば】
私はずっと肉声の復活ということを申し上げてきましたので、恐れ入りますがマイクは使わないでお話をさせていただきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。

私は子どものころは図書館というものをあまり知りませんでした。子どもの時の図書館体験といえば、私は高橋さんと同じで神戸の出身なのですが、大倉山というところに市立の図書館がありまして、中学の頃に一度だけそこへ行ったことがあります。実は、ほとんど、暗い場所という以外は印象を持っておりません(笑)。

それよりも大倉山というのは市の真ん中の方にあるのですが、私は垂水といいまして西の方に住んでおりまして、大倉山からの帰り、友達と、帰りの電車賃を節約してアイスクリームを食べようということになって、そこから垂水まで歩いて帰ったのです。詩人の竹中郁という方がいらっしゃいますが、途中、ふと見ましたら、竹中郁さんの御宅が、目の前にあったのです。それで「こんにちは」と入っていって、ご挨拶をしたり……。そうやって海岸伝いに歩いて帰ってアイスクリームを食べたというのが子どものころの図書館の唯一の体験です。本当に図書館というものを知らなかったのです。

実は昨日、神戸女学院という私の最初に入った大学の同窓会がありました。そこでちょっと思い出したのですけれど、神戸女学院には中高部というものがありまして、そこにも図書室がありました。私は子どもの本が好きだったものですから、そこへしょっちゅう行って岩波少年文庫を読んでおりました。

何とかして児童文学で論文を書きたいと思ったのですが、その頃はもちろん大学で児童文学など講じておりませんでしたから、仕方なく先生にはつかないで、ほとんど一人で論文を書いてしまったのですけれど、その時に、どういうわけかわかりませんが、大学の図書館に、英文の児童文学関係の参考書がかなりたくさん揃っていたのです。

どなたがそういう道を備えておいてくださったのかわからないのですけれど、そういうことがあったおかげで、カードで ”children’s literature” と引いては、あがってくる参考書を出してもらって読んでおりました。ところが、その著者がライブラリースクールのプロフェッサーであると紹介が書いてあったり、その本自体がアメリカンライブラリーアソシエイションから出版されていたりというようなことがあって、私にとっては初めてそこで、ライブラリーという言葉が、自分の興味を持っている子どもの文学と結びついて認識されたのです。

卒業して父の転勤で東京に参りまして、ある日、新聞に慶應の図書館学科の学生募集が出ておりました。図書館というのがぴっと注意をひいたものですから、三田まで出かけていきました。私は別に図書館の勉強をしたいわけではなく、児童文学に興味があるのだが、ここに勉強に来ても良いのですかと聞いたら、そういうこともこちらでやっているから是非いらっしゃいと言われて編入試験を受けて入りました。

慶応の図書館学科に入って初めて児童図書館員という職業がこの世の中にあるということを知りました。私は子どもが好きで本が好きだったのですけれども、学校の先生になるには算数ができないのと成績をつけるのが嫌なのでできないと思い定めておりました。成績をつけないでも良く、お話をしたり本を読んでやったりすることが職業にできるなんてこんないいことはないと思って、ここで児童図書館員になることを決心したのです。

ただ、四十年前のことですから、卒業してもなかなか雇ってくれる先がありませんでした。機会を待っている間に、留学し、ボルティモア市のイーノック・プラット公共図書館でインターンを経験しました。帰国後、縁あって、大阪の市立中央図書館の小中学生室というところで三年間働きましたけれど、当時、労働組合と市当局との約束で、三年以上同じ職場に人を置かないという決まりがあり、三年経ったらもう子どもの仕事はできなくなったのです。若い頃ですから、「他のところへ行っても、何年かしたら帰ってこられるかも知れない、何年というのが二十年になるか二十五年になるかはわからないけれども、また子どものところへ帰ってこられる可能性があるかもしれない」と言われましたが、一所懸命子どもの仕事をしたいと思っていた二十代の私には、そんなことではとても我慢できませんでした。それで退職して家庭文庫をはじめ、結局は私立の図書館を作ることになりました。

私を紹介する文章の中に、「税金を一銭も使わず」という言葉が書いてあります。それが私にとってはとてもおもしろかったのですけど(笑)、実に税金は一銭も使わないで三十一年間やってまいりました。でもそれはそんなに楽なことではありませんでした。

今年も三月二十日くらいの時点で今年度の決算は大幅に赤字だということがはっきりしておりました。毎年毎年、ちょっと大丈夫な時と落ちこむ時を繰り返して、つま先立ちで三十年間やってきたのです。今年はそうしましたら、ある図書館員の方が、お父様が亡くなられて受け取った遺産を、かなり高額ぽんと寄付してくださいました。そのお金の換金に手間取りまして、三月の三十一日にやっと私どもの口座に入りまして、それでめでたく今年をしめくくることができたのです。

実は東京子ども図書館には、全国に1,500人くらい、毎年三千円以上のお金を出して私たちを支えてくださる賛助会員がいます。それから私どもは出版をしておりますので、その売上げがあります。こうした自分たちの事業収入と、みなさまからのご寄付とで、なんとかやってきました。企業からのお金もほとんどもらっておりません。もっぱら個人の寄付が頼みです。

私はガンジーという人を非常に尊敬しております。ガンジーがしたいろいろな仕事は、ある意味でのNPOなのですけれど、志を持って仕事をしている人にお金がたくさんあるというのは良くないことだと彼は自伝の中で言っております。”From hand to mouth「その日暮らし」”をしているのが一番良いというのです。そうしてこそ志を生かして仕事ができるということを言っています。彼もアシュラムというところに人を大勢抱えていて、お金がなく、食べさせるものがないという日があったそうですが、突然、自動車が前に停まり、出てきた見知らぬ人がぽんとお金を置いて去っていき、救われたという話が自伝の中に出て参りました。私どもの館も、今年はややそれに近いような状態で収支を合わせることができました。

一所懸命やっていると、ふしぎに助けてくださる人があるものだ、また、私が知らないところで私の仕事の道を支えてくださる方がある――あの大学の図書館員の方のように。そんなふうに、お顔を知らないけれども、私どもの仕事を支えてくださる方があって、今日までやってこられたことを非常にありがたく思っております。私どものところに来てくれる子どもたちも、子ども時代をいきいきと生きて、人のために道を備える人になってほしいというふうに思って仕事をしております。本日は本当にありがとうございました。


トップページに戻る図書館サポートフォーラム賞のページに戻る