中村英二氏 (神奈川県立川崎図書館館長)  受賞のことば

中村英二氏 本日は、栄えある「図書館サポートフォーラム賞」を頂戴することになりまして、大変私共職員一同光栄に思い、またその責任も重大になると感じておるところでございます。

 このお話を伺いまして、3月中だったと思いますが、職員一同大変喜んでいたという話を承っております。

 私自身は、この4月1日から県立川崎図書館長とそれからもう1つの県立図書館、横浜にございますけれど、こちらは単に県立図書館、この2つの図書館の館長を兼ねろということで、横浜に行ったり、川崎に行ったり、なかなか席が暖まらない。但し、給料は一人分だけであります。

 今申しましたように県立の図書館は、2つございまして、川崎図書館は昭和33年に開館を致しました。

 それに先立つ4年前の昭和29年のことです。横浜の紅葉ヶ丘ですけれど、江戸末期、横浜開港が決まったときに、山の手に神奈川奉行所が置かれることになりました。そこが本所になりますね。それから、神奈川運上所という、一種の貿易関係・外交関係の出先機関のようなものがございまして、今の神奈川県庁は、運上所の跡にございます。

 いま県立図書館のあるところが、もともとの神奈川奉行所ということでございまして、神奈川県庁発祥の地ということになります。

 これが昭和29年に県立図書館を開館しまして、その当時は、総合図書館という位置付けでございました。

 昭和30年代に入りまして、その頃からだんだん日本の戦後の成長がはじまるということで、京浜工業地帯の中核都市である川崎市にも是非図書館が欲しいという運動が当時あったようでして、しかしまだ当時川崎の市立図書館がなかなか整備が出来ない状況がありまして、地元の川崎市からもぜひ川崎にも県の図書館をというような運動があったようです。

 県からいえば、重化学工業の発展と切っても切れない縁がございまして、「それでは県立の図書館を作りましょう」と、但し2館目ですので、当初から工業図書館というような形でした。とはいっても、地域に貢献しなければなりません。併せて「2足の草鞋」ではなく「1.5足くらいの草鞋」、一般向けの図書も収集することとなりました。

 その後もいろいろ経緯がありまして、平成10年に「もう一度図書館のあり方を見直そう」ということになりました。戦後も相当時間を立ちますと、市町村の図書館の整備もかなり進んでまいりまして、今、川崎の駅前の非常に立地の良いところに市立の川崎図書館がございます。そういった事情もございまして、「もう一度、県立川崎図書館のあり方を根本的に見直そう」ということとなり、平成10年に「科学と産業の情報ライブラリー」ということで、「自然科学と産業系のコレクションに特化します」ということを改めて決めました。この時点で一般図書的なものは、殆ど県立図書館に移管したり、市町村の図書館に譲ることで、コレクションを整理しました。

 その路線に則りまして、平成17年には1階のフロアを「ビジネス支援室」として、改めて整備しました。

 先程もご紹介にございましたように、もともとは、川崎図書館はある意味でとてもユニークなものでございますが、これを時代の要請によりマッチする形でもう一度整備しなおしたということで、例えばこの中で特許と発明に関するご相談ですとか、起業のご相談に応じるような体制を整えております。

 これらの活動も含め、開館して今年で52年が経ちます。

 開館当初から、工業系・産業系(の図書館)ということでございまして、社史のコレクションを特に以前から系統的に行っておりまして、お蔭様で現在のところ約15,000点程の社史のコレクションがございます。

 これだけのコレクションというのは、なかなか他の図書館では無いのではないかとありがたいお言葉を頂戴いたしておりまして、私も図書館長に就任して、館内を見ますと、確かにいろいろな企業・団体の社史がたくさんございまして、その中には、言葉で表すのはなかなか難しいようなユニークな社史もございます。是非一度(当館に)足をお運びいただきまして、現物を手にとっていただけたらと思います。

 こういった社史ですとか、なかなか入手しがたいような雑誌類のコレクションが相当特化してございます。

 こうしたコレクションができるに至ったその大きな要因の1つとしまして、先程もご紹介いただきましたけれど、「神奈川県資料室研究会」という団体がございます。

 これは県内に事業所等の拠点を置く企業の方々を中心にしまして、それぞれの企業で様々な図書室を持っていたり、資料室を持っていたりということでございますけれど、それらの情報交換を密にしようということで、これも(図書館が)発足してまもなくこういった連絡組織が立ち上がったということです。

 現在99社の正会員の方に加盟していただいておりまして、この連絡組織があったればこそ、様々な社史のコレクションができましたし、通常ではなかなか入手できないような特殊な文献ですとか、雑誌等のコレクションを形成することができたのだと思います。

 川崎図書館の建物は、もう数十年経っておりまして、実はもうかなり手狭になっておりまして、どこの図書館でも収蔵問題で結構頭を悩ませておりますけれど、当時の知恵者が一計を案じまして、今から6年程前に高校の再編などで空き校舎になった、元高校の校舎を使いまして、そこに(神奈川県)資料室研究会等からの様々な企業の資料室に蓄積されていた資料16万点位を高校の空き教室を使ってデポジット・ライブラリーとし、共同保管庫として収蔵庫の手狭さを何とか切り抜けました。こんな工夫もしてきております。

 折角の機会ですので、少しPRをさせていただきたいと思います。

 私共の川崎図書館、公共図書館としては非常にある意味でユニークなコレクションで、なかなか他に類例が無いのではないかと思いますが、実は特色はそれだけではないのでございまして、図書館というと、いろいろな文献を閲覧できる、必要があれば貸し出しを行う、そういうイメージが一般的にまだ根強いかと思うのですが、座して待っているだけでは、これからの時代、社会的に認知されないというような意識が強く、ここ数年来様々な講座ですとか、普段図書館になかなか足を運ばれない方々にも関心を持っていただけるようないろいろな機会を持とうじゃないかということで、こういった物に非常に最近熱心に取組んでおります。

 3年程前サイエンスカフェという、講座ほど堅苦しくないけれど、いろんな楽しい話が聞けるし、場合によっては講師の方に質問のできる、こんな事業をサイエンスカフェと銘打ちましていろいろなテーマを取り上げてきております。

 例えば、「偽科学にだまされるな」というキャッチコピーを付けましてやりましたところ、予想外に多くの方々のご参加をえることができまして、当初1回30人位を想定していたのですが、ケースによっては200人位の応募がありまして、一日に1回でなく2回やる羽目になったとか、そんなこともございまして、そういった催しをきっかけに川崎図書館に足を運んでいただく、こういう活動が今非常に盛んになっております。

 私共のスペシャリスト、司書でございますけれど、見方によっては美術館・博物館の学芸員のような能動的な活動にかなり特色がございます。

 そういうことで、私共今回の受賞を1つの励みにいたしまして、寺山修司が「書を捨てよ、町に出よう」といっておりますけれど、図書館ですから、書は捨てちゃいけないですね。「書を持って、町に出て」、積極的に社会的に認知されるような、そういう図書館活動を継続していきたいと思っております。

 取り留めの無い、脱線したお話もしましたが、本日は本当にありがとうございました。