稲葉洋子 氏(元神戸大学附属図書館勤務 帝塚山大学非常勤講師) 受賞のことば


第14回 LSF賞 ただ今ご紹介いただきました稲葉でございます。

 本日は図書館サポートフォーラム賞に選定いただきまして、本当に有難うございます。

 今回の受賞理由に、神戸大学附属図書館「震災文庫」の構築及びこれまでの活動、そして特に今後の継続発展への期待を含めて頂きましたことは、非常に心強い応援をいただいたと喜んでおります。

 1995年1月17日午前5時46分、淡路島を震源としました都市直下型地震は、神戸を中心に家屋の倒壊、そしてその後の火災により、多くの犠牲者を出しました。神戸大学も39名の学生、2名の教職員を失いました。当時、7館室で構成しておりましたが、6つの館室の復旧は図書館職員の手で、一番被害の大きかった館は交通網が復旧しはじめた2月に全国の国立大学図書館職員ボランティアの手により後片付けをしていただきました。

 屋根に青いシートがかけられ、あるいは更地が少しずつ目立ち始めた4月半ば、学外の方から「今回の震災についての資料を見れるところはないだろうか」という問い合わせを頂きました。それがきっかけとなり、図書館上層部で阪神・淡路大震災の資料を集めようという決断がされ、上司から私に通常の業務をやりながら「やれるかどうか」意向を聞かれました。私は、「おもしろそうだな」と思い、簡単に「やりましょう」と引き受けました。後になって、そばでこのやりとりを聞いていた同僚から「えらいこと引き受けるなあと思ったよ」と聞きました。図書館では、「被災地にある国立大学の図書館の責務として資料を収集・整理・一般公開し、復旧・復興計画や防災研究・教育に提供する」ことを決定しました。

 まず、資料の収集です。まだ、インターネットでデータベースを調べる時代ではありませんでしたので、東販や日販といった取次に依頼してデータベースを調べてもらいましたが新聞社が出した写真集位しか出ておりませんでした。並行して、学内や図書館内に目を向けました。そうしますと、震災直後、水とかお風呂の情報がFAXで大学にも届いていました。また、ボランティア元年と言われたように多くのボランティア団体がニュースや広報のチラシを作成していました。そうだ、図書や雑誌だけでは何も今回の震災は分からないのではないか。チラシやFAX、町内会の掲示板に貼られた掲示物、そういったものも収集しなければ、図書だけでは復旧・復興の過程は捉えられないのではないかと思いました。そこで新聞記事を1月17日まで遡って政府、市町村などの記者発表や学会などの動向、市民の方の動きを調べ、寄贈依頼を開始しました。そして次は、県庁・市役所・商工会議所・NGOなどを訪問し、神戸大学附属図書館の震災資料収集の協力依頼をして回りました。

 それでも資料は集まりません。6月初旬、地元の新聞に神戸大学が震災資料を収集しているという記事を載せて欲しいと依頼しましたら、記事を書いたら載せてあげるよと言われ、さっそく掲載してもらいました。この時、新聞社は震災資料についてまだ興味がないようでした。6月末、ようやく300点の資料が集まりました。寄贈依頼を出しても、大学図書館がチラシやニュースレター、レジュメまで震災資料として集めるということがなかなか理解していただけません。この震災資料のイメージをつかんでいただく、そして震災文庫の広報もする、その両方を兼ねる方法はなんだろうと考え、その当時、まだ国立大学もほとんど公開していなかったホームページを立ち上げ、簡単なデータベースを構築して、ネットで公開することにしました。

 7月初旬、同僚の協力で作ったホームページに「収書速報」と名付けて300点のデータを公開しました。それからは2週間に1度データを更新しました。

 8月には1000点になりました。そこで分類、整理方法、そして一般公開日を決定し、公開に向けて目録担当係と協議しながら作業を開始しました。10月30日、整理が終わった資料約1000件をやっと場所を確保して一般公開開始です。一般公開に合わせて、HPも模様替えをし、検索もできるようにしました。当時、国立大学図書館の一般公開は珍しいことでした。しかし、「震災文庫」の資料はほとんどを一般の方から寄贈していただいております。一般公開するのが当たり前という認識でした。

 公開を開始してからも、いかに使っていただけるようにすればいいのかといろいろと考えました。震災の翌年1996年7月、神戸大学附属図書館の被災写真300枚をキャプションを付けてHPで公開しました。写真の画像は世界中から共有していただける情報ですし、図書館の被災写真は防災計画等に役立てていただけるのではないかと考えました。

 翌年1997年夏、チラシやポスターなどの一枚もの資料が増えていくにつれ、書誌データから思い浮かべるイメージに利用者の方は大きなギャップがあるのではないだろうかと考え始めました。一枚もの資料は表あるいは表裏に書かれた文言からデータを作成しますが、例えばポスターを思い浮かべますと、特徴として短い言葉で見た方にアピールするような文言が並んでいます。検索した利用者は、その文言からとても大きなイメージ、情報が詰まった資料を思い浮かべます。そして、坂道を上ってようやく神戸大学「震災文庫」に来て資料を見ますと、たった1枚のチラシということもありうるのではないだろうか。検索した結果、書誌データをクリックすると画像で見られたらもっと便利になるのではないだろうか、もっと利用しやすくなるのではないだろうかと考えました。

 しかし、ネットで公開するには著作権の許諾をとる必要があります。そこで1998年から著作権処理を始めました。そうしますと、思いがけないことが起こりました。こんなチラシが資料になるの、他にも資料があるよと別の資料もいただけるようになりました。

 1999年7月、文部省から補正で予算措置を受けた電子図書館システムが動き出し、同時にそれまで職員手作りのデータベースで構築してきた「震災文庫」をメタデータに移行しました。

 同時に1999年から5カ年計画で科学研究費研究成果公開促進費を獲得して一枚もの資料だけでなく、写真、動画、音声、そして図書のデータ公開へと進めていきました。

 今年2012年4月で収集開始から丸17年が経過しました。今も月に100件以上、年間1000件以上の資料が増加しています。今年中には5万点を超えると思います。一つのコレクションを継続していく、それは人も予算も必要ですが、何よりも熱意が必要です。「震災文庫」は週30時間の非常勤職員が担当していますが、一人で資料の情報を収集し、寄贈依頼をし、データ入力や装備、そして利用者へのサービスもするとなると、どうしても資料収集に漏れが多くなります。昨年4月、20代の若手職員から資料収集の支援をしたいという提案がでましたので、はじめの3カ月は新採用の職員を誘って4人ほどで試しに情報を検索していきますと多くの資料を発見できました。7月からは正式なWGとして立ち上げて、資料情報を見つけると共に、次の世代に「震災文庫」の活動を継承しようとしております。

 東日本大震災後、被災地の大学や公共の図書館では、震災資料の収集に取り組んでおられる、あるいはこれから取り組もうとされているところが多くあります。

 神戸大学では被災地の図書館を支援するべく、阪神・淡路大震災資料を収集している図書館や機関と情報交換会や見学会の企画をたて、実施しております。

 本日はこの表彰式の席に娘を同席させていただいております。

 娘は8歳の時に阪神・淡路大震災にあいました。「震災文庫」の構築の最初の3年位は所掌している本来の業務と、「震災文庫」の構築を並行して行うため、残業続きでしたし、同じように震災資料を収集している図書館の人たちと情報交換会をしておりましたので夜もよく出かけておりました。しかし、「震災文庫」の活動が新聞やTVで流れますと見てもらっておりましたので、小学校で配られたチラシなども震災の資料になる?と持ってきてくれました。ある時、小学校で担任の先生と面談がありました際に、担任から「稲葉さんが、この前、先生、おかあさんね、大学でこの前の震災の資料を集めて大切なお仕事をしているのよと自慢していましたよ」と言われました。昔も今も、女性が家庭と仕事を両立させるのは、家族の理解も大きな要素だと思いますが、その時の先生のお話で本当に嬉しくて大きな力をもらったように感じたのを今も思い出します。その時の感謝の気持ちを伝えたいと、本日は来てもらいました。

 震災資料に限らず、災害資料というのは使っていただく、利用していただかないとコレクションを構築している意味がありません。「震災文庫」では常に「次はどうすれば、より利用していただけるだろう」ということを考えてきたように思います。私はよく同僚に言われました。アイディアを出してくれたら実現に向けていくらでも手伝うよ、と。

 「震災文庫」が現在まで原資料もデジタル化された資料もどちらも活用されながら、18年目に入ろうとしています。

 東日本大震災以降、デジタルアーカイブ構築や「震災文庫」と同様に原資料を収集・公開しようといういくつかのグループと情報を交換しておりますが、その際にいつもお話することがあります。

 「構築を開始するのは簡単です。いかに継続していくかが難しいのです」と。