粟竹 俊夫 氏(銀鱗文庫「築地魚市場銀鱗会」理事長) 受賞のことば


粟竹俊夫氏 ご紹介いただきました「銀鱗文庫」を運営するNPO法人築地魚市場銀鱗会で理事長を務めております粟竹俊夫です。

 本日は、銀鱗文庫が図書館サポートフォーラム賞を頂いたとのことで、非常に特異な場所で市場及び水産について真摯に取り組んできたことが評価されたことを本当に嬉しく、栄誉あることと今、心に留めております。ありがとうございました。

 「銀鱗文庫」は、築地市場の中で会員相互の親睦を図ると共に市場問題等の研究を目的に1951年に創立された「築地魚市場銀鱗会」が、創立10周年の記念事業として創設した図書館です。当初は水産仲卸組合の図書の整理・保管を目的としていましたが、創立20周年を機に全市場人に公開。市場で働く人に蔵書の貸し出しを始め、2000年を迎えたころには蔵書数6,000冊を超え、全国に珍しい「市場の図書館」として、新聞や雑誌などで紹介もしていただきました。

 その中で、2008年、本が余暇の娯楽として読まれる時代は過ぎたと判断し、水産及び築地市場の資料に特化した資料室の転換を考え、市場内外に市場に関連する品・資料等の寄贈の呼び掛けを始めました。現在では、水産・市場関係の書籍だけではなく、日本橋時代からの鑑札類や売買契約書など写真のほか歴史資料も保管し、図書館を兼ねた資料室の役割も兼ねていると自負しております。是非皆様には一度足をお運びいただきたいと存じますので、どうぞ宜しくお願い致します。


 そして、もう一つ。私が是非皆様にお伝えしたいことがあります。

 魚食離れが進んでいると言われるようになってから久しいですが、私たち日本人は魚食文化として古くから魚に親しんできました。それは、日本の周りは海に囲まれ、魚や鉱物資源を含めた水産資源の宝庫であるからです。漁業における国からの補助金の在り方等様々な問題はありますが、DHA摂取の為にサプリメントを飲むのではなく、是非青魚を食べて頂きたい、美味しいお魚をたくさん食べて知って頂きたいと思います。

 本日はありがとうございました。



福地 享子 氏(銀鱗文庫「築地魚市場銀鱗会」事務局長/同 文庫担当者) 受賞のことば


 福地享子氏「銀鱗文庫」お守役の福地享子です。文庫を運営しているNPO法人築地魚市場銀鱗会の事務局長という肩書はお飾りで、実は、文庫をベースに、お茶くみから会費集め、掃除に取材の応対、イベント手配と、要するになんでも屋の雑用係。その主たる仕事が、というより、自分で大切に思っているのが、文庫の資料をお守りすることです。

 銀鱗文庫を知ったのは、1998年、築地市場に通い始めてのころ。まだ水産仲卸で売り子をやっていました。当時は築地市場の歴史を調べるためにずいぶんと神田の古本屋さんを回っていましたが、読みたいと思う本のほとんどがそろっており、狂喜乱舞(ちょっと大げさ)したものです。それからずっと入り浸りっぱなしでした。

 ところが10年近くたって、文庫に常勤でいた事務の女性がやめてしまい、部屋は銀鱗会の役員がたまの息抜きに使う場となりました。いつ行っても鍵がかかったままで、私の足は遠のきました。たまたまあるとき、文庫の中に入る機会がありました。部屋のしつらえは、数か月前と変わってないのに、ドアを開けた瞬間の、いつもの輝きがありませんでした。机の上のホコリがやたら目につき、空気は淀み、ドキドキしながら手に取った本はつまらないものに思われ、窓から射し込む陽光もなんだか白々しい。部屋の片隅には酒瓶がころがり、隣の部屋は天井までゴミで埋まっていました。

 それからしばらくして銀鱗会の役員会があり、文庫をどうするかの話し合いとなりました。「私、事務の仕事、やります」と、手を挙げました。場の勢いってやつですね。なにしろ文庫の本は東卸(水産仲卸の組合)に渡して、銀鱗会は身軽になろう、という意見まで飛び出し、手をあげるしかなかったのです。

 言ってからちょっと後悔しましたが、私の人生、場の勢いでつなげてきたようなもの。イヤだったら、逃げだせばいい、くらいの気持ちで受けました。

 まず、私のやるべき、というか、私のためにやるべきことは、文庫の大改造です。ドアを開けて真正面に居座っていた冷蔵庫を隣室に移動し、給湯器の周囲に散乱した調理道具を片付け、ここでのプチ宴会は御法度に。戸棚の奥にある雑物、歯ブラシに着替え、空き缶と意味不明なものはすべて処分。隣室の片付けも何日かかったやら。

 掃除が苦手な私が、一生懸命やったのは、実はすごいおまけが隠されていたのです。それが、今、銀鱗会のお宝資料となっている日本橋魚河岸時代から築地市場開場前の印刷物です。あちこちの棚の奥から、また1枚、あらここにも、と出てきたのです。茶色に変色した紙きれは、関心のない人ならおそらく捨てる代物です。無事に見つかってよかった、という嬉しさの前に、苦手なことも帳消しとなりました。

 結局、そのまま、ここに文庫のお守役として残ったのは、アーカイブス資料が好きだし、さらにもっと掘り起こしたいという欲張り根性が働いたためです。個人での資料収集には限りがありますが、銀鱗文庫が背景にあれば、より多くの方に声をかけることができます。

 市場という場所は、明日の魚を売ることが生業ですから、後ろを見ない体質の人が多く、アーカイブス資料には関心が薄いのは確かですが、それでも根気よく続けていると、思わぬお宝に巡り合えます。先日は、大正から昭和にかけて仲買をやっていたという方から、当時の荷札、印鑑、鑑札などまとめて寄贈してもらいました。こういうことがあると、給料8万円という薄給ブルーも吹き飛びます。

 (下の写真は当日欠席の福地享子氏)