奥泉 和久 氏(法政大学 非常勤講師/元・横浜女子短期大学図書館) 受賞のことば


奥泉和久氏 この度「第20回図書館サポートフォーラム賞」をいただいたことに、厚くお礼を申し上げます。そして、これまでご指導をいただいた諸先輩方、いろいろと助けていただいた仲間の人たちに感謝をしたいと思います。

 さて、何をお話したらよいかと考えたのですが、大きな受賞理由となった『近代日本公共図書館年表』(日本図書館協会、2009、以下『年表』)について、少々思い出したことがありますので、それについてお話しをしようと思います。この本の成立の経緯については「まえがき」に記しましたが、そこに書かなかったことです。


 ひとつ目ですが、『年表』には、項目数などが書いてありません。どうしようかと思ったのですが、面倒なので数えませんでした。じつは、この本の巻末に、文献を2,276あげています。が、そのあとに略号というのが10タイトルほどありまして、『図書館雑誌』や『みんなの図書館』などは1タイトルとして挙げています。『図書館雑誌』は、2007年の時点で1,000号を発行しています。実際は、それぞれのタイトルから多くの記事を拾っています。今回、受賞記念に、どのくらいの項目と文献が掲載されているかを調べてみました。

 採録した項目数は、13,069、出典として明示した文献数は、11,587でした。

 もうひとつは、この本のスタートがどこだったかということです。25年前より少し前のことです。当時東洋大学の石井敦先生に、横浜の喫茶店に呼び出されました。そこで「年表、作ってもらえないかなー」というそのひと言でした。この頃、日本図書館協会は、創立100周年を迎えるにあたって、記念誌を編集していました。そのときに、協会の歴史とは別に、全国の図書館員を動員して、北海道から沖縄、それに旧植民地を含めた全国の県別の図書館史を作成するという企画が立てられていました。これは『近代日本図書館の歩み:地方篇』(日本図書館協会、1992、以下「地方篇」)としてまとまりますが、これを企画したのは石井先生です。

 このときに、石井先生は、各県の図書館史の後ろに、「年表」を載せることを考えました。それを作成してもらうように、各県の執筆者に依頼をしたのですが、どうも原稿の集まりが悪かったようなのです。また、提出されてもその書式がさまざまで、手に負えなくなって、だれに頼もうかということになり、それで「年表、作ってもらえないかなー」ということになったのです。

 原稿があって、それに年表を付録として作るだけですから、大したことはないと思って、私は「いいですよ」とひとつ返事をしたわけです。ところが、いま、思い返してみると、もし、各県の執筆者が、協会がお願いしたとおりに「年表」を作ってきてくれたら、私は、呼び出されなかったでしょうし、それと「年表」は、あくまでも「付録」ですから、もし、石井先生が、仕方ないから「年表」はなくてもいいか、と考えたら、やはり私は、呼び出されなかったと思います。そう考えると、この本ができたのは半ば偶然だったということです。


 では、実際に、どう進めたのかというと、「地方篇」の原稿の査読は、石井先生と当時法政大学の小川徹先生が担当していました。原稿の整理が終わった県から順に「年表」を作成していきます。ところが、この当時、お二人は大学の先生をしていましたから、なかなか忙しい。そこで、まとまった時間を確保するために、いろいろな施設を借りては、そこで何日か、朝から晩まで作業をするということをしました。大量の原稿が入った段ボール箱を車で運んで行くわけです。

 多分それは2年間くらいだろうと思いますが、年に数日は、この二人につきっきりで図書館史漬けの日々を送ることになります。当然、休憩もしますが、そこで話題になるのは、過去の図書館のことであり、いまの図書館の在りようであり、そしてこれから図書館はどうあるべきか、ということです。そうした話のなかで石井先生が、「図書館にもきちんとした年表が欲しいよね」というようなことを言い出します。そうすると、すかさず小川先生は、「それは、大事なことですね」、とそこまではいいのですが、「それはあなたの仕事だね」というように私に振るわけです。それで何となく、全項目に出典をつけた、きちんとした年表を作成する、というような企画ができ上ってしまった、というわけです。

 そうしたことを思い返してみると、この『年表』は、半ば偶然が作用してスタートして、雑談から企画が生まれた、ということになります。では、それはどういう意味をもっていたのか、というと当初から学術的なものを作ろうということが動機にあってのことではなかったということです。では何かというと、図書館の現場から積み上げた問題意識がもとになっている、ということです。年表の作成は、日本図書館協会の100年史をまとめることを目的に始まりました。これは日本の図書館のあるべき姿を、時間的な検証を経た事例に学ぶという姿勢で取り組んだものですし、図書館をどう引き継いで、図書館はどうあるべきかを模索するという、一連の作業の一環だったと思っています。


 結果だけ申し上げますと、いろいろ調べなくてはいけませんので、あちこち資料を求めて出かけるなどして、『年表』の作成にはそれから約15年かかりました。そして、9年を経て現在に至ります。ありがたいことに、いまでも「『年表』を参考にしているよ」というような声をかけていただくことがあります。私は、本を書くと、もうその本については作った者の役割は終わるものと思っていました。ところがそういうことばを聞くと、書くということは後々まで責任を伴うものなのだな、ということを考えるようになりました。そこで今回の受賞ということになり、なおさらその責任の重さを実感しているわけです。

 調べたり、考えたりすることは、これでいいということはなく、これからも時間を見つけては調べ歩く、という生活を続けていくということになりそうです。この賞は、そうしたことに対する叱咤激励だと思いますので、いずれ何らかのさらなる成果をご報告することをお約束して、これをもってお礼のことばに代えさせていただきます。

 本日は、ありがとうございました。